Series

パラノイア問題

  1. パラノイア問題 (I)
  2. パラノイア問題 (II)
  3. パラノイア問題 (III)

まずは妄想

前回はパラノイア問題という議論があることを紹介した。パラノイアはかつて広く狂気や精神錯乱を指す非特異的な用語であったものが19世紀に整理され、E. クレペリン(1856-1926)は「教科書」において徐々にパラノイアの用語を定義した。簡潔にいうとパラノイアは知性面の精神機能障害とされた。そして彼は広義のパラノイアのうち、心因がはっきりしないものを真性パラノイアとして残した。その過程でもともとパラノイアと呼ばれていたものの残滓は何なのか、そちらこそパラノイアではないのか。そういう疑問が生じてくる。

パラノイアとは結局何なのか。これが「パラノイア問題」である。

なお、パラノイアの範囲を縮小させることには意味があった。かつてドイツの精神科病院の患者の7割から8割がパラノイアと診断されてしまった時期があった。この中の多くに統合失調症が含まれていたことは確かで、統合失調症(かつての早発性痴呆)という疾患単位ができる前であったから、いかに先人たちが苦労をしていたかが察せられる。

さて、パラノイアを語るうえで避けて通ることができないのは、「妄想(Wahn)」という用語の概念把握である。ただ「妄想」について話すことは非常に壮大である。考えただけでめまいがしてくる。実は英・独・仏で妄想の理解は異なり、これだけで分厚い記事になる。今回はなるべく簡潔にまとめてみたい。

かつてG. W. グルーレ(1880-1958)という医師がいた。彼は妄想を「きっかけのない自己関係づけ」あるいは「動機なき関係づけ」とした。これはわかりやすい。K. シュナイダー(1887-1967)という精神科医は「妄想のあるところには性格的了解はなく、了解可能なところに妄想はない」といった。 こちらは少々わかりづらいので補足すると、「妄想があるということは、この人の性格がこうだからあのようになるのだ」というふうに決して理解できるものではないし、「やっぱりこういうことだ」と合点がいくようなものは妄想ではなかろう、ということになる。 シュナイダーのいう妄想は真性妄想(echter Wahn)という定義に基づいており、彼は真性妄想をその出現形式を巡って了解可能性あるいは意味法則性の彼岸に置く。すなわち、妄想というのはどう考えても分かりようがなく、意味や法則を超越している、ということになる。なお、シュナイダーはパラノイアを統合失調症の一類型として扱う立場であった。

これに対して、K. ヤスパース(1883-1969)という精神医学の泰斗は、「確かにシュナイダーらが言ったように妄想はどう考えてもわかりようがない。しかし、妄想のように飛び抜けているがよくよく聞けば理解できる内容は確かにある」と前置きし、「妄想様ないしは妄想的(wahnhaft)」と呼んだ。この体験反応(詳しくはシリーズ体験反応を巡ってを参照されたい)のすべてを、多くの専門家とともに「妄想性体験反応(paranoide Erlebnisreaktion)」あるいは「妄想性発展(paranoide Entwicklung)」とした。つまり、ヤスパースは、パラノイアにおける妄想を統合失調症における妄想と対比し、「人格の発展」と呼び、これを了解可能なものとした。つまり、「よくよく話を聞いてみれば、この人の人生観に基づいてこの人がこのような事を考えているのは理解できる」(生活発展の意味連続性)ということだ。統合失調症の妄想と、パラノイアの妄想(のような何か)は質的に異なるものではないか、という考察ができる。

ここで賢明なる読者の皆さんは「前回、『真性パラノイアとは何かという問いがパラノイア問題の核心だ』と言っていなかっただろうか。真性パラノイアは心因がはっきりしないものを言ううのでは?」と気づいたかもしれない。

その通りである。かつてクレペリンが定義したパラノイアというのは、何らかの外的原因や心因によって生じるようなものではなく、内的原因(innere Ursachen)から生じるとされた。この内的原因というのは、現代の診断学でいう内因性をそのまま意味するわけではない。

内的原因とは何か、これをどう理解するか。全くしっくりこない。一度この用語の意味は留保しておき、ここで、R. ガウプ(1879-1953)という精神科医の精神鑑定例を呈示するのがよいと思う。というのも、この問題は抽象的に論じるより、具体的な症例のなかで見たほうがはるかにわかりやすいからである。パラノイアを説明する際、複数の成書は「教頭ヴァーグナー(Wagner)事件」を紹介している。私も先達にならって、諸家がパラノイア問題の敷石とした症例を示したい。 この症例で重要なのは、思考の乱れが目立たないまま、罪責感と被害的解釈が長年かけて発展していく点である。

教頭ヴァーグナー

以下では、ガウプによる鑑定例をもとに、必要な範囲で要約・一部改変して症例経過を示す。

Case Presentation

症例呈示:教頭ヴァーグナー

ヴァーグナーは1874年のドイツに生まれた。

ヴァーグナーの血縁には精神障害のものが3人いたという。父親は酒飲みで本人が2歳のときに死亡。母親は性的にだらしなく、父の死去後に何人かの男と関係を持ち、農夫と再婚した。しかしヴァーグナーが7歳のときに再婚相手と離婚。極貧の家庭環境の中、惨めな少年生活を送ったが、才能に恵まれ活発で空想力が旺盛な優秀な特待生であった。しかし、敏感で疑い面と自己中心で傲慢な面をも秘めていた。

熱心、几帳面、繊細な性格で好成績。言葉の面で才能を発揮し、詩作への関心を示した。国民学校を経て小学校教員養成所の給費生となった。

異性への関心は早くから目覚めた。18歳からマスターベーションに耽り苦悩の日々を過ごした(この時代、手淫は悪徳とされた)。非常勤教員として各地に回されることに「役所から不当に処遇されている、故意に悪い場所に送られる」と感じていたが、周囲からは有能で熱心な教師と評価され、後に教頭となるが、性的苦悩も文学的野心も気づかれなかった。1901年(27歳)、居酒屋で酒に酔った折、帰りにひそかに獣姦を行った。これは誰にも知られなかったが、そのうち、これが知られるのではないかと心配し、やがて周囲から自分が嘲笑され、侮辱されると解釈するようになった。その後も獣姦を重ねて自己嫌悪に陥り「全人類を冒涜するようなことをした」と述懐している。同年、居酒屋の娘を妊娠させ、この逸脱が村に公となったために、翌年別の村へ異動となった。1903年、結婚してくれなければ身を投げて死ぬと娘に脅されて結婚。1912年、39歳時には妻と子ども4人で生活していた。彼の悩みはやむことなく不安と疑惑、憤怒と憎悪を経て、凶暴な破壊衝動に変化していった。はじめは自分自身に向き、自殺を決意したが、失敗に終わった。今度は周囲の村人に対する虐殺計画が芽生えていく。

1913年9月3日、「シュトゥットガルト新報」に獣姦の罪を手紙で告白。その晩、家族や家主の家族と庭で談笑し別れを告げ、家の中に入ると、数時間後、9月4日の未明、凶行に至る。

眠る妻子をナイフで刺殺。子どもたちは忌まわしい世の中から抹殺されることで救済され、自分の不名誉な死の後まで生きることを憐れんだからだという。そして3丁の銃と500発超の弾丸、2丁のモーゼル拳銃を鞄に入れ、かつて教鞭を取っていた村に行き、納屋に放火。村人9人を射殺、11人に重傷を負わせ、家畜にも危害を加えた。

彼は村の屈強な男たちに打ち倒され重傷を負い、未決監の収容を経て、チュービンゲン大学精神科病院に入院した。

この時、彼の鑑定を行ったのが、ガウプである。ヴァーグナーは64歳で死亡するまで、思考の乱れは一切なく、常に明晰であり、人格の崩れがみられなかったとされ、後年には狂王と呼ばれたバイエルン王、ルートヴィヒ2世を素材にした戯曲「妄想」を書いたことも知られている。相手にされなかったが。

さて、ガウプはどのような鑑定結果を下したのか。簡単にいうと「ヴァーグナーは1901年からパラノイアに罹患し、治癒不能で精神疾患のために責任無能力である」と判断された。現代の日本でいう心神喪失であるが、大量殺人事件において無罪となった初の症例でもある。 彼は鑑定書の中で、ヴァーグナーを繊細さと自己不全感をもつ敏感な人間であり、他方で人一倍強い野心をもつ人間であったことを指摘している。他方、己の繊細さ故に手淫や獣姦に対する強い罪責感を抱くが、自身の野心と自尊心がその罪責感と両立できず、周囲に投影してしまうのだと指摘している。 投影というのは、「自分が悪い」という感覚を「お前が自分に悪いことをした」へ置き換える心理である。 自分の行為を認めたくない、認められない、そういう心の働きは防衛機制と呼ばれる。かといって皆が皆、投影するとも限らない。 それではなぜ、教頭は自身の罪責感を他人に置き換えたのだろうか。 これは非常に難しい問題であるが、少なくともガウプは、この大量殺人犯の症例をもとに、パラノイアの妄想はヤスパースの妄想様発展に近いものとして、人格の発展から了解可能なものとして捉えた。パラノイアは特定の人格構造と特定の体験から心理的・了解的に発展することを説明したのである。

押しきれない何か

しかし、パラノイアの理解は人格発展説では押しきれない。ヴァーグナーの経過を読んで私たちは、「なるほどヴァーグナーの生い立ちを見れば彼がこうなったのもわかります!」とはならないはずだ。議論が尽くされたとはいえない。これは次回の記事で深堀りしたいと思う。

とりあえず、ガウプはパラノイアの形成を人格発展のうちに理解できるものとみなした。しかし、そうだとすると、クレペリンのいう「真性パラノイア」はどこに残るのだろうか。 「了解できないパラノイア」というのは必要なのだろうか。この疑問も残されたままである。

次回にご期待いただきたい。