サイコアナリティック・サイコセラピー
治療者がサイコセラピーを受けることについて
私は保険診療の枠組みの中で、人と面接をして、精神療法を行う立場であり、それを業としている。しかしながら、今回書く内容は完全な逆転ではないとはいえ、私が面接を受ける話をしたい。 歴史的には、精神科医が精神分析をはじめとする精神療法を受けることは珍しいことではなかったはずである。とはいえ、現代の多くの精神科医はおそらく自らがサイコセラピーを受けることをしていない。私もその一人であった。今までは。
これまでの私は、定期的に時間を割く余裕もなければ、行こうという動機もなかった。本格的な精神分析は週4回程度の高頻度で通う密なものだと知って、躊躇していたのもあるし、私の偏見ではあるが、精神分析は現在の主流ではなくなった。かつての治療を知る人達が当時を懐古する人文学の一つのように感じられた。やや軽んじる態度があったかもしれない。未だによくわからない学問ではある。どこか秘教めいていて、知る人ぞ知る界隈、という感じもある。
私の人生にまつわる課題は刻々と変わるものもあれば、奥底に潜んでいるものもある。どういうわけか、私自身がかかえる問題を私だけでは飼い慣らすことができなくなってきた。飼い慣らす、という言葉がそもそも適切なのかもよくわからないが、自分の課題を束ねようとしても混線していて、雁字搦めになってしまう感じでいた。どうしようか、と思ったときにカウンセリングを受けることを思いついた。自宅から比較的通いやすくて、精神分析とはいかなくても精神分析的精神療法を行う人のところに相談しようと思った。妙なものである。よくわからないことを解決しようとして、よくわからないものにすがろうとする。
かくして、私は今まで訪れたことのない土地の、静かな住宅地の中にあるオフィスを訪ねた。
香の匂い
オフィスは清潔感のある空間で、事務所というよりもむしろモデルハウスの居間の如き佇まいであった。しかし仏壇に供えるような線香の匂いが最も印象的であった。視覚にも嗅覚にも訴えかけるこのオフィスの設計意図を考えそうになるも、まずは利用規約や注意事項の説明、個人情報の記入から始まる。注意事項の際に「自傷他害のおそれがあれば…」という有名な枕詞も頂いた。自分自身がそういう説明を受けるのは新鮮であった。
私の本業を知ったセラピストは、眉をひそめた(気がした)。ただ、私が上記のことで困っていること、中立的な立場の人物に話をすることを通じて、自分自身の問題を整理したいと述べた。それを受けて、セラピストは私の拙い言葉を拾ってくれた(気がした)。私のことを「あなた」と呼ぶのはものすごくニュートラルな心地がして、なんだかゾワッとしつつ嬉しいような感覚であった。具体的に何を話したかは述べないが、こんなに長く、全くの赤の他人にとめどなく話をしたのは初めてである。ただ、話といっても私自身の話をしたわけではなかったのも不思議であった。実に奇妙な体験をした。しかもこれを定期的に続けるのであるから驚きである。今後、少しずつ対話で生じた体験を文章にしてみようと思う。