作業主任者技能講習

先月末と今月のはじめに、二つの技能講習を受講した。技能講習というのは、労働安全衛生における座学中心の講義である。実技の講習もあるが私が受けたのはそうではない。事業者は有害業務を業として行う場合、労働安全衛生法で定められる有害業務のうち、これに従事する労働者を指揮する「作業主任者」を選任する義務がある。私が受けたのはこの作業主任者に選任されるための技能講習であった。一つは「有機溶剤作業主任者」、もう一つは「特定化学物質及び四アルキル鉛しアルキルなまり等作業主任者(以下:特化物作業主任者)」である。

なぜ受講したのかと訝しむかもしれない。理由は明確で、私は現時点で時間的余裕があり、かつ今後の産業医活動を見据えて、視野を広げたかったからだ。来年受験するであろう労働衛生コンサルタントの下準備、も兼ねていよう。なので作業主任者としての実務をすることはきっとない。作業主任者はどのような視点で業務をするのか、何を知っていて、何を知らないのかを理解してみたかった。ただし、私の本職は精神科医である。こんなことを明言すると産業医を本業にしている医師から怒られてしまうだろうか。いや、産業医だとしても作業主任者の仕事をすることはまずありえないし、多くの産業医は嘱託産業医である。お叱りを受けたとしても、これからの職業人生を考えていくにあたり、複数の軸足を持つことが私にとり重要な生存戦略になると考えている。日本医師会認定産業医の単位を集めて、なんとなく更新するような態度ではありたくないと思う。

講習の裏技

技能講習はかなりの種類があって、受講者も衛生分野だけでも25万人くらい年間いる。「有機溶剤作業主任者」も「特化物作業主任者」もどちらも受講者が多い講習のようだが、私が受けた時は、一つの講義室にだいたい10数人くらいで、静謐な雰囲気で行われた。どこぞの産業医講習会に比べればはるかに快適であった。誰も私語をせず、電子音もならない。認定産業医は寝てても取れる、とよく皮肉られる。実際、私の知る限り、ほとんど座学であるし、試験もない。講師に突然質問されることもまずない。若干遅刻しようが、途中で便所に行こうが不問にされることがほとんどであろう。更新なら5年以内に単位が集まればよいので、すべて出席しなくてもよい。お気楽なものである。他方、技能講習は厳格である。遅刻早退および途中退室厳禁、電子機器の使用禁止、最後にマークシート式の修了試験がある。作業主任者は寝てては取れないのだ。ただ、急に便意を催す不幸は人類等しく訪れるので、生理現象による途中離席はなんとかご容赦願いたいと思う。無論、寝るつもりはないのだが、修了試験に落ちると講習に修了したとみなされないため、貴重な2日と受講料を棒に振る。運営側は不合格になると補修や救済は一切ありません、と不思議なことを何度も言ってくる。これだけ繰り返すということは他に救済措置のある講習があるのだろうか?と思ってしまうが、後述する理由によりまず落ちない。それでもそこそこ緊張感のある講習である。

もし初見で試験問題用紙を見たら合格できるかどうか不安になる内容ではあるものの、実はほぼ満点を期待できる。講師はなぜか、くりかえし、「ここをチェックしなさい!」「ここの言葉に下線を引きなさい!」と言ってくる。「なぜ私がこんなにいうのかは皆さんお察しのことでしょう」とか「問題に出るからね。何の問題かはね、別に言わないけれど」となどと黙示的なことをいう。「何を言っているんだ」と思うのだが、最終日の試験問題を見ると、講師がしつこく言った内容が完全に問題に出ている。いわゆる「これ、進研ゼミで全部見たことあるやつだ!」という展開になる。1時間設けられる試験時間もほとんど持て余し、30分で全員が提出し、採点も一瞬で終わり、最後に技能講習修了証を授与される。顔写真付きのクレジットカードサイズのカードが修了証である。これをもらうことが目標である。 要するに、試験に出る内容は講師が必ず間接的に教える、という仕組みになっている。こうすれば受講生は話を聞くし、まず修了試験に不合格となることはないから、双方にとってメリットがある。 そして、試験問題の内容も細かいところを聞かず、基本的な要点を問うので、覚えておいて損はない。よくできた仕組みだなぁと感心しながら受けていた。

それぞれの内容

有機溶剤

会場はとある都市の駅近く徒歩3分の場所にあった。近くに薬局や飲食店があり、雑然としている。肝心の会場はそのごちゃごちゃの一部で、探そうとしないと決して気づかれないようなオフィスビルであった。それでも様々な事業者が入っていて、ちゃんと人が働いているのは当たり前なのに不思議な気持ちがする。年季の入ったビルで、和式便所が未だにあることに心が動いた。会場のエアコンが良く効いていて、寒いくらいだ。 講師は老年の男性であった。その後も講師は常に老年の男性であった。おそらく講義慣れしていて、立て板に水のようによく話す。1日6時間ぶっ続けで話すのは流石に疲れるだろうと思っていたら、「私もね、この歳になるともうくたびれるんですよ」「昔はいろんなところに講義をしたり、事業場に行っていたんですがね、もう疲れちゃってね」とぼやく。まぁそうだろう。昼休みと10分の休憩を挟むとしても疲れるに違いない。話はべらぼうに上手いので十分だ。私はこういう私的な話を聞くのが好きで、老年期の哀愁が滲む瞬間はその人の遍歴を最も雄弁に語る。

有機溶剤というのは、脂溶性かつ揮発性の液体で、トルエンやアセトンなどをいう。いわゆる「シンナー」は有機溶剤に含まれる。塗料に用いることや半導体の洗浄、ドライクリーニングにも使われる。おそらく私の知らない業界でも使われているだろう。空気に滞留しやすいため人体がこれを吸入すると健康を害してしまう。場合によっては、火災を招き、酸素欠乏になることもあれば、死亡することもある。有機溶剤は第1類、第2類、第3類と分かれている。発がん性などの慢性毒性が問題となった一部の有機溶剤は「特別有機溶剤」と呼ばれ、有機溶剤でありながら特定化学物質のうち第2類特定化学物質に組み込まれ特化則を適用する。こんなことを学ぶ。 去年も同じことを勉強したはずなのだが、いや、勉強したからなのか、その両方だろう。ようやく何が要点なのかが整理されてきたような感覚、立方体パズルのある一面の色が揃ったような感じがする。ただ、他の色を揃えようとすると、揃ったはずの一面が不揃いになる。自分が本当に理解しているかどうか、不安になる。

特定化学物質・四アルキル鉛等

なぜ四アルキル鉛がくっついているのか、という疑問があったが、もともと別々だったものが制度改正により一緒くたになったようである。だが、四アルキル鉛は今ではほとんど使われなくなっている。航空業界くらいだろうか。昔は四アルキル鉛をガソリンのアンチノック剤に使っていたが、強い神経毒性等が知られ、世界的に自動車用のガソリンに使用することは禁止されている(無鉛化)。講習でも四アルキル鉛に触れられることはかなり少なかった。特殊健康診断の実施時期は3ヶ月に1回ではなく6ヶ月に1回、という細かい話があったくらいだ。 あとは特化物の話であったが、作業環境管理や局所排気装置、呼吸用保護具の話になると有機溶剤とほとんど同じ内容であった。ただ、惜しむらくは、廃液処理装置等についての説明は省略されたことだ。これは作業主任者の職務にあまり関係がないからだろう。

特定化学物質は、有機溶剤と同じように第1類、第2類、第3類に分かれており、それぞれ健康障害をもたらす可能性が高いとして、特定(specified)されている。第1類、第2類は発がん性をはじめとする慢性的な健康障害が問題となるもので、特に第1類は製造に厚生労働大臣の許可がいるもの、第3類は大量に漏洩すると急性中毒を起こすものである。昨年は第2類の意味がよくわからなかった。先にも述べたように第2類には特別有機溶剤も含まれていて、つい最近まで第2類がどのようなカテゴリなのかよくわからずにいた。特に「管理第2類物質」という区分が意味不明であった。 特定化学物質第2類物質は、「特定第2類物質」、「オーラミン等」、「特別有機溶剤」、「管理第2類物質」に分別される。この名前の紛らわしいことよ! 要するに特定化学物質は第3類を除けば発がん性をはじめとする慢性的な健康障害が問題になる物質である。「特定第2類物質」は慢性障害だけでなく特に漏洩に注意すべき急性中毒をおこす物質であり、「オーラミン等」というのは、製造工程における曝露と尿路系腫瘍を発生に関連があることが知られている染料、「オーラミンとマゼンタ」のことである。つまり、「管理第2類物質」とは、第2類のすべての物質から、「特定第2類物質」と「オーラミン等」と「特別有機溶剤」を除いたものである。だから「管理第2類物質」は私に言わせれば「その他大勢の第2類物質」、「オーラミン等」ではなく「いまのところオーラミンとマゼンタ」である。「等」、というとたくさんありそうだが、サツキとメイ、ぐりとぐら、ザシアンとザマゼンタくらいの情報量だった。これはあとから付け加える余地を残すための「工夫」なのだろうがわかりづらい。この分類方法は命名法だけでももう少しなんとかならないのか、と思うのは私だけだろうか。誰もそんなこと言わないのはなぜだろうか。

特定化学物質第2類
├ 特定第2類  → 急性中毒と慢性障害両方で特に有害
├ オーラミン等 → オーラミンとマゼンタ
├ 特別有機溶剤 → 一部の有機溶剤
└ 管理第2類  → 上記以外

後日、去年自分が使った「第一種衛生管理者」の参考書を開いて、特定化学物質の章を読んだ。自分がこの分類法を見落として勉強していたのではないかと確認した。やはり上記の説明はなかった。安堵したと同時に悲しんだ。今回の技能講習で使われた中央労働災害防止協会(中災防)のテキストには的確に記載されていた。「管理第2類物質」とは、第2類のすべての物質から、「特定第2類物質」と「オーラミン等」と「特別有機溶剤」を除いたものである、と。「特別有機溶剤」は特定化学物質第2類物質に入るが、有機則を準用する、とも書かれている。労働衛生に関わる役職によって勘所がやはり違うのかもしれない。とはいえ、なんということだ。試験勉強において教材は下手に増やさないことが鉄則である。ただ、コンサルタント試験に合格した先達に習って教材を厳選したことが必ずしも上手くいかなかった。

講師の不意打ち

リスクアセスメント

特化物の講習で、例の講師が鼻水をすすりながらも流暢に講義をしていたところ、講師はリスクアセスメントの話をし始めた。リスクアセスメントというのは、厚労省の説明を引くと「事業場にある危険性や有害性の特定、リスクの見積り、優先度の設定、リスク低減措置の決定の一連の手順」のことをいう。もう少しキュッとさせると、

「危険性・有害性を認識し、危険または健康障害が生じるおそれの程度を見積もり、リスク低減対策を検討すること」

あるいは、

「職場における危険性又は有害性等の調査のことで、その結果に基づいて対策を実施していく一連の手法のことでもある」

という。平成26年に労働安全衛生法が改正され、特定の化学物質(SDS交付義務のある一定の化学物質)に対して事業場はリスクアセスメントが義務付けられた。事業場は自分で扱う物質の危険性や有害性を調べてちゃんと対策してね、ということになる。

「この物質を扱うとこのような健康障害が知られているから、この設備と保護具を使おう。それでも有害性があるから、それを念頭において危険性と重大性を見積もろう。すると、この点は優先的に対策した方がいいな。別の部分はそこまで優先しなくてもいいな」

大学入試問題の導入部分のような空虚な説明で例えると上記の独白のようになる。講習で見せられたビデオの小芝居を圧縮したものである。リスクアセスメントや役者を揶揄するわけではない。

これまで、化学物質は個別に規制され、「この物質はこう、あの物質はこうせよ」、と法律の中に組み込まれてきた。それが特化則であり、特化則の利点であった。規則に書かれていることには滅法強い。しかし、書かれていない物質にはどうすればよいだろうか?次から次へと新しい化学物質が産業に使われてきており、厚生労働省も対応が追いつかない。特化則に新しく物質を付け足しても付け足しても、間に合わず、そもそも新しすぎて有害性もよくわからない。まるで、いくつもいくつも家屋や設備をつけ重ね、増築工事の極み、かつての香港九龍城砦のようである。そこにはロマンスの欠片もなければgenericでもない。specificではあるが。

全く新しい化学物質を産業に用いようとする時に、これからどのようにすればよいか、というのは近年の日本の労働衛生における悩みの種であった。ただ、考えてみればわかるが、今でなくても、昔から新しい化学物質は導入されてきたはずである。今よりも登録される数が少なかろうと、徐々に増えていくだろうことは化学物質に明るくない私でも予想は着く。

1990年時点ですでに、個々の化学物質を法令で規制するだけではなく、職場で使用する化学物質全体を体系的に管理するという発想が国際的に存在していた。国際労働機関(International Labour Organization; ILO)が職場で使われる化学物質について、表示、化学物質安全データシート、使用化学物質の把握、労働者への情報提供などを事業者に求めるとする条約を採択していた。30年以上前から問題意識があったのである。

さらに、この頃から各国でばらばらだった化学物質の危険有害性の分類や表示を世界共通にしようという動きも進み、後にGHS(Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)としてまとめられた。炎やドクロマークなどの絵表示ピクトグラムやSDSで、化学物質が「どんな物質なのか」を共通の言葉で伝えられるようにする仕組みである。GHSそのものがリスクアセスメントを行う制度ではないが、事業者が自らリスクを判断するための情報基盤になった。 欧州連合も1998年に、事業場は、職場に危険な化学物質が存在するかを確認し、存在するならば、その化学物質による労働者の安全・健康へのリスクアセスメントを行うよう求めた。

リスクアセスメントに関する世界的な動きがすでにあったのだが、日本では特化則をはじめとする労働安全衛生規則等が強力に機能していた。しかしながら、印刷業における1,2-ジクロロプロパンによる胆管がんの集団発生や、オルト-トルイジンによる膀胱がんの発生といった労働災害は、現行の個別規制の限界を示しつつあった。2021年の厚労省検討会報告書では、「化学物質による休業4日以上の労働災害の約8割が、特化則などの個別規制の対象外物質によるものだった」という衝撃の報告がなされた。一生懸命コツコツ増築していた城塞の中の住人は比較的無事だった一方で、なんと城壁の外で住人に大変なことが起きていた、という感じだろうか。

そこで、次のようになった。

職場における化学物質管理を巡る現状認識を踏まえ、有害性(特に発がん性)の高い物質について国がリスク評価を行い、特定化学物質障害予防規則等の対象物質に追加し、ばく露防止のために講ずべき措置を国が個別具体的に法令で定めるというこれまでの仕組みを、以下のとおり、国はばく露濃度等の管理基準を定め、危険性・有害性に関する情報の伝達の仕組みを整備・拡充し、事業者はその情報に基づいてリスクアセスメントを行い、ばく露防止のために講ずべき措置を自ら選択して実行することを原則とする仕組み(以下「自律的な管理」という。)に見直すことが適当である。

厚生労働省「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」(2021年7月19日)

要するに、国が答えを用意する仕組みから、国が判断材料と最低限のルールを用意し、事業者が自分で答えを出す仕組みへ変わったのである。

ムズムズ

こういう話を講師が延々としていたところ、次のようなことを終始ズルズルしながらいう。

「皆さんがね、受けている作業主任者講習。ありますよね。いずれこれを廃止しようという話があったんですけどね、どうなるんでしょうね」

ズルズル

「あのね、5年くらい前に、えーっとねぇ……厚生労働省の審議会みたいなものがあってですね。大学の教授だったかなぁ、その人がね、言ったんですよ。化学物質の自律的管理が進んでいくにあたってね、特化則とか有機則はやめてね、作業主任者もなくしましょうってことを言ったんですよ」

ズルリ

「えっ、じゃあ作業主任者どうするんですか、ってなりますよね。それでね、作業主任者の代わりに、職長にやらせようっていうんです。職長!?って全然違うじゃないですか」

ズズーッ

「でもね、5年くらい様子見ようってことになってですね、結局こうして作業主任者講習もあるわけでね。で、また5年ずつ様子見ることになっているんですかねぇ。当面続くんでしょうけど、どうなるんでしょうね…」

ジュルリ

はじめに断っておくと、講師の内容は部分的に不正確である。大学教授がこの話をし始めたのではない。厚生労働省の事務局である。大学教授は作業主任者の行方を尋ねた側である。 そして、職長というのは、労働安全衛生法によれば「労働者を直接指導監督する者」とされるが、簡単にいえば「作業グループのリーダー」である。建設業等の一定の業種では選任義務があり、「職長教育」とやらの12時間の講習を受けなければならないのだが、職長の選任に決まりはない。鼻水は講師の発言の合の手として機能しつつあったが、私はそれどころではなかった。

「は?」

第一に特化則やら作業主任者が廃止になるという話をまさか作業主任者講習で聞くとは思わなかった。完全に目が冴えてしまった。講師が後日風邪を引くのではないか、という不安も混じりつつも気が気でなかった。最もショックだったのはこの話題を過去5年間、産業医の立場で一切耳にすることがなかったということだった。それなりに情報収集をしているつもりだったが、これほど重要な話を聞き逃していて、制度改革の真っ只中に自分がいることに無自覚だったことが衝撃であった。さらに、国が、これまでの規則や技能講習をなくそうとしていることや、作業主任者の職務を職長に委ねようと考えているのはだいぶ雑なのではないかと考えていた。「これからは化学物質の自律的管理の時代です」という言葉を何度も聞いてきたが、労働安全衛生規則のいくつかを廃止しようとする検討会があることは誰も触れてこなかった。未確定事項だから、講習では話しづらいということもあろう。本当は今までの講義で触れられていて、聞き逃した可能性もあるだろう。情報収集が下手で肝心の内容を拾えていないことももちろんあるだろう。そうした自分の不手際も含めると悔しさがこみ上げる。周りの人はどのような思いで聞いていたのだろうか。

休憩時間にあわてて事実関係を確認した。講師の言っていることは概ね合っていた。講義と休憩を繰り返すのちに、修了試験となり、なぜか全問題「これ、進研ゼミで見たことあるやつだ!」となり、めでたく作業主任者技能講習を終えた。修了試験の頃には講師はすでに帰ったのだろう。気温差で体調を崩さないといいが。

帰路にて

もうこれ以上技能講習を受ける必要はないと確信したが、2つの講習を受けて得るものはとても大きかった。有機溶剤と特化物で技能講習登録機関が異なるものだったので、運転免許証のようなカードが2枚できてしまった。片方はカードゲームのカードのように妙にキラキラしていて、もう片方の自分の写真は別人のようであった。講習を請け負う機関が違おうと、国家が定めているのだからきっと統合されて同じフォーマットになるのかと思いきや、全くそのようなことはなかった。どうせ使うことはないから財布に入れなくてもいいか、と思ったものの、結局財布に入っている。

帰り道、すでに日は傾いていたが相変わらず暑い熱線が私たちを貫いた。帰りに立ち寄って食べたラーメンがあまり美味しくなくてがっかりしたが、癪なので替え玉を頼んだ。待っている間に自分が受けた講習の余韻のようなものを何度か確かめていたと思う。かなり多くの人が技能講習を受けていて、現場に出ているという事実を全く知らなかった。様々な人間の思惑があっていつの間にか自身が制度の恩恵を享受していること。自分の知らないことが無限の射程で存在し、私が無自覚に現在の立場に甘んじていることを確認するような余韻。

ふと、最近読んで好きになった詩を思い出した。

知命

他のひとがやってきて

この小包の紐 どうしたら

ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては

こんがらがった糸の束

なんとかしてよ と言う

鋏で切れいと進言するが がえんじない

仕方なく手伝う もそもそと

生きてるよしみに

こういうのが生きてるってことの

おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ

ふりまわされ

くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる

もしかしたら たぶんそう

沢山のやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている

わたくしの幾つかの結節点にも

今日までそれと気づかせぬほどののさりげなさで

茨木のり子、『新潮』、1976年

私が何を知っていて、何を知らないのかを理解してみたかった。その目的は多少なりとも達せられたと思う。私が良い経験をしたことを感取してくれれば嬉しい。