はじめに

以前、私は<気「症」予報>という題名で、精神症状を気象予報に例えた話を書いた。その時は特別養護老人ホームでの経験を述べたものであるが、今回は別の話をしようと思う。 先に断っておくと、これから私が話すことは重大な個人情報に関わるため、「どこでどんな人を診た」だとか、「何があったのか」について述べることはこれまで通り決してしない。
お伝えしたいのは、そうした場で私が何を感じたのか、ということである。

先日、朝にこんな電話がかかってきた。

「もしもし、おはようございます。〇〇県の〇と申します。本日、後追い診察が〇件になります。〇〇時までに〇〇病院に来てください。お願いします」

〇ばかりで恐縮ではあるが、時折、行政から直接、私に診察の依頼が来ることがある。依頼が来る日はあらかじめ決まっており、朝の時点で電話が入ることになっているので、まったくの不意打ちというわけではないが、独特の緊張感がある。

これはどういうことかというと、私を含めた精神科医の中には、都道府県から依頼を受け、みなし公務員として精神保健福祉法にもとづく診察に関わる者がいて、自傷他害のおそれのある人について、措置入院が必要かどうかを判定するための診察を行う。二人の精神保健指定医なる医師の判断が一致したときに限り、本人の意思によらない入院が成立する仕組みになっている。これが措置入院である。

措置入院は、日本の法制度における入院形態の一つである。
精神障害のために、自身あるいは他者に危害を及ぼすおそれがあると判断される場合、都道府県知事の権限によって、本人の意思によらない入院が行われる。 こうした非自発的入院の仕組みは、日本だけに特有のものではない。 日本の精神医療に課題が山積していることは百も承知だが、入院治療に同意することができず、しかも自身や他者に対して危害が生じかねない、あるいはすでに生じてしまっている切迫した状況においては、このような処遇を完全に避けることは難しいと私は考えている。

さて、私は電話を受けた瞬間から、みなし公務員として、公共交通機関を乗り継ぎ、普段とは異なる職場へ向かう。
この日に診察を依頼されたということは、おそらくこの数日以内に緊急措置入院が行われたはずである。

緊急措置入院も措置入院と同等の入院形態ではあるが、緊急という接頭語がつく分、その効力は72時間に限られる。
週末の夜に有事があれば、まずは緊急措置入院を担う指定病院で対応し、平日日中に改めて措置入院の判定を行う。
72時間というのは、実務上は週末や祝日をまたぐ切迫した状況に対応するための仕組みと考えてよいだろう。

どのようなケースを診察するのだろうかと考えながら、指定された場所に到着する。
しかし今回は、やや早く着きすぎてしまった。

会場のインターホンを鳴らし、「措置診察で参りました」と挨拶してから、職員に案内された場所は、あまり使われていないのであろう、物置のような部屋だった。
決して物置そのものではないし、仮に物置だったとしても文句はない。
早く着いた分、何かわかることがあるかと思ったが、そういうこともなかった。

定刻になると、スーツを着た行政職員が入室してくる。

「今日はよろしくお願いします。こちらがまず1件目の方になります」

そう言って資料を渡してくれる。
まもなく、もう一人の精神科医も現れる。風貌は明らかに、何度も措置診察を経験してきた熟練者のそれであったが、これ以上何を言及すればよいかわからない人物、と言っておこう。
強いて言えば、ヘアアイロンをかけたかのように、前髪はあまりにも直毛であった。 その医師は入室するや否や資料を読み出し、すぐさま書類を書き始める。試験ギリギリに入室して、試験開始と同時に解答用紙に答えを書き出すような体である。 「俺は先に読んでるからさ、アンタ、話聞いといてよ」ということも私に言う。要領の良さには感心したが、愛想というものはどこか道中に置いて来たらしかった。

そうこうしているうちに診察を終えた。冒頭で述べた通り、診察の中身には触れない。 ただ、診察を行ったどの症例も、結果として、その場で治療につなげる必要があるという判断に至った。

未来予測

措置入院の判定の要諦は、「未来予測」であると私は理解している。その予測にあたって重要な項目を以下に記してみる。

  • 一般の精神科診断面接を行う
  • 事件や問題行動に対する本人の認識を確認する
  • 自らの病状や治療の必要性についての理解を見きわめる
  • すでに起きた自傷・他害行為と精神障害との関係を検討する
  • このまま治療につながらなかった場合に何が起こりうるかを予測する
  • その危険を防ぐために、措置入院が必要かどうかを判断する

簡単に六つほど挙げたが、やはり最も重要なのは、この被診察者を放置したらどうなるのか、放置してよいのか、という一点に尽きるだろう。 その判断のためには、精神医学的な診察を行うだけでなく、事件に対する本人の認識と、その出来事が精神医学的な問題とどう結びついているのかを見きわめなければならない。

被診察者は非常に興奮していることもあれば、全く口を開かない場合もある。あまりにも落ち着きすぎていることもある。 そうした横断像と、過去の縦断的な情報から、未来を予測することは至難の業といえる。 限られた時間での医学的判断が被診察者の治療や今後の方針を左右する重大な局面であり、静かに時間が流れていく一方で、額に汗が浮かび、筆先には力が入る。

急性期の精神科診療とはどこか異なる空気感がある。 それは、診断と治療のダイナミクスそのものというより、限られた情報のなかで未来の危険を見積もらなければならない、その切迫に由来しているように思う。 被診察者の現在の精神状態を把握するだけでは足りない。
このまま治療につながらなかった場合、再び何が起こりうるのか。
本人や周囲にどのような危険が及びうるのか。
その見通しを問われる以上、措置診察は本質的に未来予測の性格を帯びざるをえない。 前回の記事では、私は「2週間後」を予測することの必要性について述べたが、措置診察ではより遠い未来を見なければならない。

かつて私は、蝶の羽ばたきが嵐を起こすかもしれないように、利用者の嘆息がその夜大波乱を起こすかもしれない、と書いた。今回もまた、同じことが言えるのだと思う。 私が受けた講習会ではこの先3日を予測せよという指導があった。別の医師は「3日では短い。3ヵ月は見ろ」と言った。どれほど先を見通すべきなのかに決まりはない。しかしながら遠くを見渡すことができるに越したことはない。それでも3ヵ月は難しい。3ヵ月先の自分が何をしているのか、自信を持って言えるだろうか。Yahoo!天気でも17日先が最長なのだ。

今は空が晴れているように見えても、明日も晴れるとは限らない。
明日が晴れでも、その先に雨が降らないとは言えない。
3日先はどうか。1ヵ月先はどうか。3ヵ月先はどうか。

その日、診察が終わり、解散となった。もう一人の医師は書類を書き終わるとそそくさと退出した。私はもう少し時間がかかった。職員にお礼を言って、現場を後にした。 帰り道の風景があまりにも平和で静かなのに驚いてしまった。先程まで心揺さぶる出来事があった自分にとって、不思議な感覚であった。 体はクールなのに、頭はホットな状態。実に責任の重い仕事だと思うが、虎穴に入って、自分なりに引き受けるべき判断を引き受けた、そんな感覚が残った。

私の判断が少しでも当事者らの状況を好転させられればと心から願っている。