気「症」予報
私は月に2回、特別養護老人ホームの嘱託医として往診に行っている。今回はその話をしてみたいと思う。 具体的に何をしているのかというと、硬い表現をすれば入所中の利用者の精神医学的な問題について療養指導を行っている。 もう少し言うと、施設利用者の精神症状、特に認知症周辺症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia: BPSD)に対して薬物療法を提案したり、環境調整の工夫や関わり方について 「こういうことをしてみてはどうでしょうか」ということをしていて、普段の臨床の延長に近い。
しかし、これはなかなかに難しい仕事であると日々痛感している。気軽にできるバイトではない。気軽にやっているつもりも楽だと思ったことは毛頭ないが。 巷にあるバイト感覚でやることは到底おすすめできない部類の仕事だと思っていて、私としては臨床精神医学の修行をしに行っている気持ちが結構ある。
どんな修行か。それは現在の天気から二週間後の天気を予想するようなものだ。
まず、特別養護老人ホーム(特養)について話をしておこう。 正式名称は介護老人福祉施設であり、特別養護老人ホームは通称、特養は略称になる。 介護保険法に基づいて介護保険が適用され、老人福祉法に基づく市町村の入所措置が行われる。 入所措置とは何らかのやむを得ない事情で在宅生活が難しく、緊急で支援が必要な高齢者を保護する場合に行政が入所を判定するもので、 市町村の行政処分の一つである。よって私の往診先は虐待等により緊急で保護が必要になった人も含まれている。 その点で特別なので、特別養護老人ホームというのだと理解している。 介護の必要度にあたる要介護3から要介護5に認定されたものが原則対象となる。無期限に入所できるため、いわゆる終の棲家となることが想定されている。
私はその特養の「精神科医定期的療養指導加算」という算定要件を満たす駒であり、
・精神科を担当する医師による定期的な療養指導を月に2回以上行うこと
・入所者に対し療養指導を行った記録を残すこと
などが求められる立場にある。ちなみに、施設は私が駒になることで1日5単位/人というしょっぱい介護報酬が得られるという。 1単位は約10円くらいなので、月に1500円/人、おおよそ100人くらい入所していると概算しても、全員がBPSDであるはずがなく、全く儲けにはならない仕組みになっている。月に3回、4回診察したからといって加算は増えない。逆に医師に払う手当が増えるので赤字になってしまう。2回は来て欲しいけれど、それ以上は来ないでほしい。まるで友達以上、恋人未満のような間柄になる。 施設にとっての月の稼ぎは数万円くらいだが、おそらく雑費で一瞬で消えるのだろう。 一応2015年の介護報酬改定でできたばかりの加算なので10年くらい前までは存在しなかった。ないよりは嬉しいという具合だ。 昨今の動向を考えるとこの点数は今後まず上がることはない。特養は医療を専門的に行う場ではないので、精神科医が目立ってしまってはいけないからだろう。 ただ介護の現場は利用者の精神症状が激しいと非常に困るので、できれば精神科医がいた方が良い。このような現場の事情と制度のシーソーゲームが絡み合って、精神科医がちょろっと関わればおまけがもらえるくらいの点数がついた、という感じだろう。 したがって精神科の関与は象徴的にとどまる。 施設の収益もほんの僅かであるから、経営という目線では、いてもいなくてもどっちでもいいくらいのポジションである。そもそも必置ではないので、実際に精神科医を配置していないところは多い。現場のニーズはあるが、報酬で反映されない世知辛い領域である。 そう考えると一定の事業場に必置である産業医バイトの方が圧倒的に人気があるのも頷ける。現金な話、単価も良いはずだ。私は金銭的利益にならないことをしている。
さて、実際に現場に赴くと、私の事業場だけなのかわからないが、 「よくもまぁ、こんなに大変なケースが入所しているものだ」 と思うことばかりで、非常に難しい。
利用者のほとんどはなんらかの認知症の診断がついている。併存疾患も大体わかっている。すでになんらかの薬も飲んでいる。向精神薬以外の薬は内科の配置医が対応してくれる。 入所経緯もおおよそわかっている。しかし断片的であったり、すべて医師の診療情報提供書があるわけではない。福祉の文脈に沿った情報に留まっていることが多く、血液検査は過去のものがほとんどだ。画像検査データなんてものはない。 往診の短時間のうちに部分的な情報をつぎはぎして、全体的な利用者像を構成する必要があるのだ。精神科の初診という手続きを経ることなく、目の前の利用者(実際には困っている介護士)の問題解決をしなければならない。
具体的な問題とは、次のようなものだ。 他の利用者と喧嘩してしまう、じっとして座っていられず車椅子であちこち動き回る、 施設から逃げようとする、つねる、噛みつく、大声を出す、昼夜逆転する、失禁する、脱衣する、ものを壊す、介護を拒否するなどが挙げられる。頻度は高くないが幻覚妄想状態もあれば、気分症状による行動の障害もある。例示した通りほとんどが認知症の周辺症状だ。
これらの症状には基本的に薬物療法を行う。 ほぼ例外なく、高齢者特有の留意点があるため、周辺症状にアプローチするときは転倒のリスクと過鎮静に注意が必要となる。便秘にも注意しなければならないし、薬剤性のせん妄も念頭に置く必要がある。私が最も用心するのは、薬剤介入してから、過鎮静となり転倒するという事態である。したがって、いきなり高力価を投入、ということは初手ではあり得ない。 さしあたり、リスペリドンやクエチアピンを少量使用することが多い。レンボレキサントを使うこともある。メマンチンを導入することもあれば、最近はブレクスピプラゾールを使うことが増えてきた。用量用法は医師それぞれの裁量や嗜好に左右されがちだが、この辺はあまり変わらないのではないだろうか。私はそんなにトラゾドンを使わないタイプだと思う。
そんな中で、どんなに慎重に介入しても過鎮静になることはあるし、二週間後に介護士から「全然効いていません」と言われてしまうこともある。どちらも悲しい結果で、痛恨の極みと言って良い。これを聞く覚悟を日々しなければならない。自分の無力さを認めるのだ。果てしなく非力だ。彼らは私が来るまでの二週間、何も好転しない状況を耐えていたのである。反省して次に活かさなければならない。
すこぶる上手くいくこともある。予想が的中することもある。そのようなときは感謝されるし、気分も良い。しかし、至極大切なのは、私が感謝されるために臨床をやっているわけではないということだ。この点、フィクションにおけるあの岸辺露伴も*「ちやほやされるために漫画家をやっているわけではない」と言っていたことと感覚的には全く同じである。私はなぜ上手くいったのかをよく覚えておくことにしている。精神医学は相対的基盤で成り立つ。精神疾患は理念とその類型で成り立っていて、特異的バイオマーカーがないならば、症例の蓄積が有効になると思っている。
(*「この岸辺露伴が金やちやほやされるためにマンガを描いてると思っていたのかァーッ!!」が正しい引用である)
やはり往診で一番難しいのは、次の診察の時に利用者がどうなっているかを予測することに尽きる。本当に難しい。例えば、100歳を越えた人に向精神薬がどれだけ使えるのか、さっぱりわからないのだ。90超の高齢者が沢山いる環境では自然と身が引き締まる。 リスペリドン1mgを毎日投薬して二週間後どのような状態になるか、クエチアピン12.5mgを使ったらどのような経過を辿るか考えなければならない。 この利用者だったら25mg使っても良さそうだ、リスペリドンの方がいいかな、などと思案を巡らせる。それなりに薬理特性を考えて判断を下す。メマンチンやブレクスピプラゾールを初期量から維持量に育てたいときは事前に初期量の限界を周囲に断っておく。
時折、脳塞栓後遺症の精神症状にチアプリドを少量で試すこともある。せん妄にはペロスピロンを使うこともあるし、速やかに症状抑えたい場合で糖尿病があればアセナピンを使うこともある。うつ病の既往があってメランコリーであればエスシタロプラムなどを使うこともある。統合失調症の診断があり、強い不穏と不眠があれば、オランザピンもほんの少し使うこともわずかにある。 特養の嘱託医としてはやりすぎかもしれない気もする。私はこのフィールドにおいて医療がメインではないことを弁えているつもりだ。ほかの所だとどうなのだろうかという心配はややあるが、必要だと思っているからやっているとしか言いようがない。入所する利用者も精神科病院から来ることはよくあるため、どんなことに気をつけたら良いか、関係者に翻訳する必要もあるし、持参薬をとりあえず続けておくことの必要性を周囲に伝えなければならない。一見ヘンテコリンに見える処方薬は、その人にとっての最高の組み合わせであることがある。内科の医師から遠回しに多剤ではないかと指摘されようと、それに打ち勝つ胆力と自分のロジックで医学的必要性を説明できる力が求められると思う。私は嘱託医となって3年近くになるが、未だに内科の嘱託医と顔を合わせたことがない!多剤なのはそっちも一緒ではないかなどと言ってはいけない。顔を合わせないからこそ他者に対して敬意が必要なのだと考えている。
こういう話をすると、普段、精神病理学の話ばかりしているだけの人間ではないことがわかっていただけるのではないだろうか。この場所には「ファントム空間」も「あいだ」も「父の名の排除」も「自明性の喪失」もない。 あるのはひたすら泥臭い臨床実践である。利用者と言葉を交わすほんの数秒の中でどのような現症を呈しているのか、何が優先されるかを考えている。頭の中は11000回転している。何の薬を使おうか、何の情報が必要かを考えている。
もう一つ、重要なことを付け加えたい。福祉施設では極めて当然のことだが、精神科病院によくあることはご法度である。 いわゆる行動制限のことだ。身体的拘束、隔離などということは存在しない。精神保健福祉法ではないのだ。点滴をするからミトンをする、車椅子から立ち上がらないようにベルトを装着する、ということも存在しえない。 介護衣というロンパースのような服を着せることで、自ら脱衣できないようにするなんてこともない。 尽く却下である。全く異なる文化であることをつくづく思い知らされる。行動制限はなく、できることは薬物治療のみ。精神療法もない。この手札の少ない中で如何に最善の結果、すなわち利用者にとって平穏な一日を過ごすことができるかが求められている。
採用面接のときに、施設長から言われたことを今もよく覚えている。 「何よりもまず利用者の方が穏やかに過ごせるかが大切だと思っています」 私は、余計なことはしてくれるなよというメッセージだと勝手に解釈したが、何もなく平穏に一日が過ごす、ということは人生の終盤を迎える方々にとっても支援する人にとっても日々重要なことだ。
気象予報で、こんなに的中しましただとか、外れて申し訳ありませんでしたということを私は見聞きしたことがない。物流や催事、防衛、農業など天候の変化はあらゆる人にとって大切な要素だ。しかし私たちは天気の当たり外れをいちいち一喜一憂しないし、賛否もしない。 気象と精神は全く違うではないかと言われるかもしれないが、カオスを扱い、未来予測をする点で私はよく似ていると思う。蝶の羽ばたきが嵐を起こすかもしれないように、利用者のため息がその夜大波乱を起こすかもしれないのだ。 私は反省しつつも、一喜一憂せず淡々と次の二週間を見通せるよう、臨床技術の修行を続けてみようと思う。