パターン<序>
「どうして私を死んだことにするんですか?」 「なんで私が死んだことになっているんですか!」
これはかつて私が担当していた患者さんの発言である。ひどく怒っていて、かつ困った口調なのを覚えている。 正直に言って面食らった。私たちの動揺を誘い、当惑させる言葉は臨床のあらゆる場面で生じる。 割と返し方は慣れてきたほうだが、なかなか気の利いた返答が難しい。
この発言の内容はどのような意図なのだろうか。 そもそも死んでいたら発言はできないではないか、といういわゆる「クソリプ」が頭をかすめたが、 この違和感には捨てきれないひっかかりがあった。
そう、「死んでいたら発言できない」のである。 因果関係が逆転しているのだ。 本人にとって「死んでいる」ことが先行した状態にある。 AならばB、という因果律が捻れ、BだからAという状況になっている。
この場合に、私がどう応じたのかというと、
「あなたのなかではそうなっているのですね、どういうことか教えてもらえますか」
という至極つまらない返答で、これ以上その時はどうしようもなかった。 そして「どういうことか」を教えてもらえるわけでもなかった。
このような突発的な質問は星の数ほどあるし、これら質問に論駁しようとするなんてことはナンセンスだ。 患者からは不誠実と思われかねないが、臨床家はどうしても、のらりくらりとした態度を取らざるをえないことがある。 その場で解釈をする、解釈を与えるということも慎まないといけない。
医局にもどってからも、どことなく違和感が残っていた。しかし、この違和感を説明できそうな仮説があったことをすぐに思い出した。
安永浩による「ファントム空間論」である。 「ファントム空間論」とは何かを短く説明するのはひどく難しいが、 (統合失調症の)患者さんに起きている体験は、本人が体験するあり方(空間の作られ方)そのものが変化しているのでは、という仮説である。 正確にいうと、「ファントム空間論」の基礎となる「パターン(実存的二元論)」である。
先日、ちくま学芸文庫から安永浩の「精神の幾何学」が復刊された。金剛出版から出ていた「ファントム空間論」も電子書籍化され、一読者として喜ばしい。 新装版の内海健による「解説にかえて」は彼の清貧かつ献身的な臨床家像に触れた、私にとって望外の読書体験であった。 中井久夫が「安永浩は再発見されるべき」と評していたように、繰り返し内海氏も「再発見されるべき」と記していたことは特筆すべきだろう。
さて、私も「再発見されるべき」だと強く考える立場だが、私が「再発見する」かは身の程知らずと言われそうだ。 しかし、愚かにも昨年の6月に、私は彼の理論をもう一度考察すると啖呵を切ったばかりである。 かつて別の媒体で取り扱ったこともあるが、記憶とともに消えてしまったため、昔の記事を復元してお茶を濁すこともできない。 そんなこんなで、本稿を皮切りにして患者さんの質問を手がかりに、彼の「パターン(実存的二元論)」についてなるべくわかりやすく説明をしてみたいと思う。
*Wikipediaの彼の記事を久しぶりに見に行ったところ、大幅に加筆されていて驚愕した。 参考文献と更新時間を診る限り、新装版と電子書籍化された影響を感じる。 彼の隠れファンが密かに電子の海に漂っているのだろう。なんだか嬉しくなる。
シリーズ化するつもりだが、早速説明していこう。