病跡学

医学の一分野に「病跡学:pathography」がある。これは亡き宮本忠雄の言葉を借りれば「精神的に傑出した歴史的人物の精神医学的伝記やその系統的研究」をさす学問である。 「patho」は「病気」のこと、「graphy」は「描写」に相当していて、私なりに説明をすれば「精神医学的に特記すべき特性を備えた故人について調べる」作業である。 では、なぜこのような学問があるのかといえば、加藤敏曰く、 「学際的領域に位置して、創造性と精神的逸脱の関係を探ろうとする病跡学の独自性は、精神医学が築き上げた疾病概念や病態把握、および癒しといった観点から、人間の創造性に光を当てるという問題枠に求められる」 からだという。つまり、創造性と病理の関係を調べることは、精神医学と治療の理解だけではなく、人間そのものの創造性を理解することにつながる、という意味に近い。 (宮本と加藤はどちらも精神病理学者である)

「へぇ〜そうなんすね、で?」

という感じになるかもしれない。例えば、ヴィンセント・ファン・ゴッホの人物像を精神医学的に掘り下げることで、目の前の患者を救うことはできないし、 ギ・ド・モーパッサンが麻酔薬を乱用したことや梅毒による進行麻痺の症状が、後年の作品にどのような影響を与えたのかを考察したとしても(興味深さはあれど)実臨床との直接的な関係は見いだせないという考えになるとしたら無理はない。

かといって、私は病跡学を軽んじるわけでは決してない。今回、私がまず取り上げたいのは、英国の小説家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf: 1882-1941)と彼女の病跡理解に関わった神谷美恵子(1914-1979)という精神科医だ。 ヴァージニア・ウルフを簡単に紹介すると、「ダロウェイ夫人」(Mrs. Dalloway)、「灯台へ」(To the Lighthouse)、「オーランドー」(Orlando: A Biography)といった代表作で知られる小説家、評論家であり、世間的にはモダニズム文学の主要人物である。 ちなみに私はモダニズム文学が何なのかは寡聞にして知らないし、ここで論じるつもりはない。

神谷美恵子は日本の精神科医である。ハンセン病の治療に携わった人物であることや語学に堪能であったことから哲学書や文学書の翻訳、エッセイストとしても知られている。精神科医というのはどうもそういう人が多くいる傾向がある。何か書かずにはおれないらしい。神谷がなぜヴァージニアの研究をしたのかは次の文が理解の助けになるだろう。冒頭の「病跡学」の紹介そのものに近いことを彼女も述べているのは興味深く、意図しない偶然である。

病跡とは何かをここで説明する必要はあるまい。ただ一つことわっておきたいのは、ウルフの精神病にのみこだわって作品や人となりを説明しようとするのではなく、この病がどういうものであったか、それが彼女の全人格や作品創造とどういう関係があったのかを考察するのが本書の目的であるということである。精神の病は人間の中の異物ではなく、むしろそれを持つひとの人格の基盤をなす重要な要素であると著者は考える。とりわけ一生を通じてその病につきまとわれていたウルフの場合、こう言えるであろう。ゆえに病跡と言ってもウルフの全体像を見失うことがあってはならないと思う。こういう意味でシュペリがかつてPathographie(病跡)よりもAnthropographie(人間誌とでも訳すべきか)を目的とする、と述べたことばに、いまだに同感を禁じえない。

さて、人がウルフに興味を持つとすれば、順序から言ってまずその作品に魅せられるだろう。たしかに『ダロウェイ夫人』や『波』や『燈台へ』などを読めば、表現の抒情的な美と同時に、何かふつうでないもの、現実ばなれしたもの、謎めいたものに強く印象づけられる。こういうものを書く人はどういう人か、という素朴な疑問に馳られていろいろ資料を調べていくうちに、彼女の特異な人となりと精神病という事実にぶつかることになる。 ——神谷美恵子、「神谷美恵子著作集 4——ヴァジニア・ウルフ研究」1983年、みすず書房

彼女の病名は何かというと、彼女が存命の間、少なくとも5名以上の精神科医(それも英国最高峰の)に診察を受けてきたが、全員が「神経衰弱」としたという。 ただし、これは神谷が丁寧な注釈を入れている。これは一種のeuphemism(婉曲語法)であり、真の病名ではない。医師が患者やその家族に対して話す時はこのような遠回しな言い方がよく用いられる、と神谷は記しているが、 20世紀であろうと21世紀であろうと、病名告知はベールに覆われてきたのだと感ずる。では何であったのか?診察した医師のカルテが残っているわけではない。こっそり夫や家族に告知したか?それもないようだ。詳細は下の補足に譲る。

補足:神谷の診断的考察と「非定型精神病」 精神疾患の診断名は時代によって大きく変わるが、神谷が考察する限りウルフは「非定型精神病」(Atypical Psychosis)であったようだ。この類型はもはやICD-11やDSM-V-TRには存在しないが、現在も一定の割合で臨床で見られるため重要な概念だと筆者は考えている。「非定型精神病」とは何かといえば、従来の内因性精神疾患(てんかんを含んだ)とされてきた統合失調症、双極症のいずれでもないが、複数の疾患の症状が重複している際に考慮される病名とでもいおうか。 精神医学の黎明期より、統合失調症と双極症の内因性精神病の二分法に対する疑問に対する問題意識から生じている疾患概念であろう。 非定型精神病をより具体的にいうと、以下の具合になる。 >「非定型精神病とされる症例は全体の経過は双極症のような病相性あるいは挿話性の経過をたどり、一つひとつのエピソードは躁・うつでは説明できず、時に意識変容や緊張病症状、激しい興奮、統合失調症でみられる症状などが混在する。しかも統合失調症とは違って完全寛解する経過をたどる。なぜか心因を契機に発症することが多く、これまたなぜか脳波異常がみられることが多い」 >——古茶大樹、「臨床精神病理学」2019年、日本評論社 から一部内容を変更して引用 ただ、神谷が指摘した診断名はあくまでも後方視的なものであり、ウルフの生前でそのような診断をされたわけではない。非定型精神病の概念と用語は1942年に満田久敏が提唱するまでなく、概念も術語も曖昧かつブレがあったと言わざるを得ない。 そして仮にかつての主治医らが統合失調症と双極症の境界例だと見立てたとしても、有効な治療薬は存在せず、打開策はほとんどなかった。 病相性というのは症状が出現する時期が明らかであるということだ。つまり、症状が固定化することはなく、消長を繰りかえす、という説明ともいえる。似た疾患に統合失調感情症があるが、これは寛解する経過や急速に発症する点などで異なる。やはり様々な点で「非定型」であるといえよう。

実のところ、より正確にいうと私個人が最も関心を寄せるのはその二人ではなくて、ヴァージニア・ウルフの夫であるレナード・ウルフ(Leonard Woolf: 1880-1969)である。彼がどのような人物なのかは後述するが、彼が夫として、人生の伴走者としてヴァージニアと、彼女の病とどのように関わってきたか、ということを理解するのは「ケアをする人」「誰かの支援に関わる人」すべてにとって利に資すると考えている。

多くの場合、当事者の「天才と狂気」だとか、「創造性と病理の境界」のような視点で切り取られることがあるような気がしていて、興味深さはあるのだが、なんだか退屈さが同居している。 人々はダ・ヴィンチのような天才性に魅せられる。圧倒的な才気に畏怖する。私もその一人である。ただ、どこか遠い存在の人でしかない感覚が同居している。 何かに「傑出した」と評価される人は圧倒的少数なのである。現時点で天才と狂気のあわいを論じることは私の関心ではない。

世界的なスポーツ選手、アーティストの活躍を見聞きしても「うわぁ、すごいなぁ」と思うけれど内心「なんだかなぁ」と冷めた感覚と似たものがあるのかもしれない。

レナード・ウルフ

彼が世間的にどのような立場で知られているかというと、政治評論家や作家として語られることが多いようである。 ケンブリッジ大学を卒業後七年間、スリランカ(旧セイロン)に植民行政の役人として赴任し、帰国後すぐに1912年、ヴァージニア・スティーヴンと結婚した。 ヴァージニアには婚前から精神症状が見られていたことを、レナードは知っていたという。彼は行政職であり、このままキャリアを続けていれば出世街道を歩むことが確実であったようだ。レナードがユダヤ人であることや、スティーヴン家の方が格上の家柄であり、事実上婿入りのような形での婚姻となること、結婚すれば栄達の道が絶たれることを承知で、結婚を決めたのだという。 なぜ、それでも結婚を決めたのか。この問いは野暮ではあるが、レナードがヴァージニアに対して強い恋愛的熱情に燃えていたことは事実であろう。ただ、それだけでもないようだ。 神谷はケンブリッジ時代の恩師、ジョージ・ムーア(George E. Moore)の影響が大きいと指摘している。 特に彼の主著「倫理学原理」(Principia Ethica)がムーアの思想を反映しているという。それはどのようなものだろうか。 なるべく論旨を逸脱しないように説明をすると、次のようなものになろう。

倫理学では、「善いとはどういうことか」が大きな問いになる。ムーアはこの問いに対して、自然主義・快楽主義・エゴイズムなどの立場を検討し、どの立場にも「善」を別の性質(健康、快楽、欲望の充足など)に置き換えて説明しようとする傾向があることを批判した。 たとえば「健康」や「正常」は一般には望ましいものとされるが、だからといってそれだけで「善」と同じ意味になるとは限らない。実際、「健康なものは善いのか?」という問いは、なお問いとして成り立つ(「病気」も自然の産物ではないか)。ムーアが言いたいのは、善は健康や快楽のような性質だけでは言い尽くせない、ということである。 そのうえでムーアは、善を快楽だけに限定する考え方を退け、快楽の量や身体的満足よりも、人格的な愛情(personal affections)や美的な経験(aesthetic enjoyments)を、特に価値の高いものとして重視した。とくに、人を単なる役割や機能ではなく、その人自身の人格として理解し、そのうえで結ばれる愛情関係は、ムーアの倫理思想の中心にある。

難しい内容ではあるが、「正常」や「健康」が常に正しいとはいえないだろう、という主張がムーアにはあるのだと理解していただければ、ムーアを引いた目的は達せられただろう。 「この人がイケメンかどうかでは問題ではなくて、この人の人柄がすごく好き」 や、 「この人の所作や振る舞いは、どこか品や調和を感じて、とても良いと思う」 といった感覚である。

この説明だけでムーアの思想に全面的に賛同できるかはともかく、レナードがあえてヴァージニアと結婚し、その関係を持続させたことはやはり単なる恋愛感情だけではなく、人間誌的な理解と尊敬の念、そして忍耐があったからこそといえよう。ヴァージニアは以下の手紙をレナードに書いている。

……私は結婚というものを一つの職業とは考えたくはないのです。 ……それからあなたがあまりにも強く私(との結婚)を求めるので、いらいらしてしまうこともあります。あなたがユダヤ人であることということもこれに一役買っているかもしれません。あなたはとても外国人のように感じられるのですもの。その上私は恐ろしく精神不安定なのです。……私は自分自身が半ば怖いのです。時には、私という人間はほかのだれとも、何かを共にすることはできないように感じるのです——「あなたはまるで丘か岩のようだ」とあなたが私のことを言われたのはその事なのでしょう。それなのに私は何もかも欲しいのです——愛、子どもたち、冒険、むつまじさ、仕事などを。……でもこの間残酷にも申し上げたように、私はあなたに対して肉体的には全く惹かれません。……それでもなおあなたが私のことをそんなにまで想って下さることは、ほとんど私を圧倒します。…… 1912年5月1日

単刀直入とはまさにこのことである。こうした文言にもひるまずレナードは求婚し、結果的に結婚に至ったわけであるが、のちに次のような手紙をレナードは受け取っている。

私の大事なマングースさん……私は横になって私の大切なけもののことを考えています。想像もつかなかったほど私の生活を、瞬間ごとに、ますます幸福にしてくださるあなた。私があなたにおそろしく恋していることは疑いもありません。あなたが今、何をしていらっしゃるか、それを考えつづけ……あなたにキスをしたくなるのです。 あなたのマンドリルより 1916年4月17日

マングースというのは無論、レナードであり、マンドリルはヴァージニアのことである。夫婦間の内密で極めて私的なやり取りの一部であるが、お互いを異国の動物になぞらえるあたり、親密な様子がうかがえる。婚前の違和感を克服し、心からレナードを慕っていることは明白だ。

ケアの技法

この夫婦は、ヴァージニアの病気を理由に様々な医師からこどもを儲けることを止められたのだという。また、彼女自身の不感症や同性愛的傾向もあったようだ。当初は心身の結合を目指したにせよ、後年は精神的結婚ともいえる形で二人の関係が結実したことは、単なる美談で済む話ではない。二人には深い葛藤があったであろう。周囲から心無い言葉もあったのではないか。あるいは無責任な善意の押し付けもあったろう。

どうやら伝記的資料ではヴァージニアの幼い頃に義兄からの性的虐待が強く疑われる記載がある。そうした幼少期からの心的外傷は彼女の人格形成に多大な影響を与えたことは想像に難くないし、精神的変調のトリガーになり得る重大なイベントである。スティーヴン家には精神疾患の家族歴があることも背景因子として十分考慮される。母の死別が少女時代にあったことも彼女の不安定性に関与したであろう。

やはりそのような中で、レナードと結婚したことは彼女にとってある種の治療的な意味合いを持ったのかもしれない。 これまで、彼女は、計6回の病相が起きたと考えられている。これは非定型精神病の特徴である循環性、周期性に矛盾しない。 神谷が考察している限り、13歳、22歳、31歳、40歳、49歳、58-59歳のほぼ9年の間隔で精神症状が出現していることがわかっている。 この病相の時は、興奮もあれば過量服薬、投身による自殺企図もあったという。

重要なのは、これは一度きりの破綻ではなく、長期にわたり反復する波として現れたという点であり、ゆえにレナードの支援もまた単発の献身ではなく、生活全体の持続的な設計を要したということである。

では、レナードは何をしたのか?

神谷の記載によれば、 病気の前駆症状である頭痛、不眠、「考えが走ってとめどなくなる」、拒食が起こると、レナードはただちに妻を暗い部屋に寝かせ、一切の刺激から遮断し、なるべく食事を摂らせて、ミルクを無理にでも飲ませる、仕事は一切させない等、決まった方法を取ったという。 レナードは倦むことなく妻の状態に注意し、毎日の時間の過ごし方を指示し、彼女の創作については適切な(時にはウソさえついて)評価で支え、ほとんど毎年海外旅行を共にして彼女に気分転換と休息を与えたとある。 この方法によって、彼女の病状の悪化を食い止め、躁状態に移行せず済んだことがあったのは確かで、40歳と49歳の2度の病相を最小の波で抑えたのである。この間、彼女は先に述べた優れた作品を世に出すことに成功したのだ。

彼の不断の注意と、病気の際の看病と心労(時には二ヶ月も彼女が面会拒否したという)はレナードの立派な男性としての仕事を妨げ、ときには彼をノイローゼに陥れたともあり、彼女の支援は彼自身をも追い込むものであった。

ただ、どの精神科医もなし得なかった「支持的精神療法」にきわめて近い関わりを、レナードが生活の中で実践していたことは称賛以上のものだ。毎年海外旅行に行くことはできないにせよ(揚げ足取りに近い)、少なくとも生活調整・刺激統制・前駆症状への早期介入という点では、現代の医学でも十分通用するものである。 しかしながら、この点については異論もある。レナードの献身を高く評価する伝記的理解がある一方で、彼の対応がヴァージニアの病をむしろ助長したのではないか、あるいは彼女の生を過度に管理する方向に働いたのではないか、という批判的検討も存在する。 ここで私が言いたいのは、どちらか一方に軍配を上げることではない。むしろ、支援という営みがしばしばそうであるように、保護と拘束、配慮と統制、献身と消耗が、同じ実践の中に同時に含まれうるということである。

ヴァージニアの死後、彼女の研究が複数の人物によって行われてきたが、中にはかなり踏み込んだ辛辣な内容もある。レナードが支配的で偽善的であった、という批評である。 彼のこのような批判は、夫婦共同設立した出版社(Hogarth Press)の社員に対する厳しさや専制的な側面からも読み取れるもので、実際妻には保護者的な態度である一方で、新入社員は次々辞めていったという逸話が残されている。 しかし、これまで触れてきた通り、ヴァージニアには精神症状、家族歴、幼少期外傷、喪失体験、当時の医療的限界といった複数の要素が交絡しており、彼女の死がすべてレナードの責任と断ずるのは過言であろう。 不調の妻を暗い寝室に寝かせることは配慮でもあるし、管理でもある。支えるということは囲うことでもあろう。もし、レナードが真に専制的で偽善的であったとしたら、「マングースとマンドリル」の件はなかったのではと私は思う。 私は単なるレナードの人物礼賛に留めるつもりはない。確かにケアをすることは支援する側もされる側も消耗するのである。とても真摯に支援をしていたからといって他のことが免責されるわけでもない。

私たちは何ができるだろうか?

レナードにとってのヴァージニアのように、私たちにとって大切な人を、我々はどのように支援していくのか、伴走者としてどうあるべきなのかは難しい問いである。 それでも、私の関心は病を抱える人々と共に長く生きるために、他者はいかなる技法を持ちうるのか、そしてその技法はどのような代償を支援する側に要求するのか、という点にある。 レナードの実践には、危うさもあったかもしれない。旅行中に不調が起きたら、彼はどのように危機介入するつもりだったのだろうか。だが同時に、観察、生活調整、前駆症状への早期介入、創作の支えといった、現代にも通じる目を見張る知恵がある。 そして、何か特別な技法があったわけではなく、非常にシンプルであった。生活のリズムを作り、刺激を排し、食事を摂ること、不調な時は負荷をかけないこと、これは鉄則だ。 私としては、彼の行為を断罪したくはない。できれば肩を持ちたいくらいだ。レナードは、ヴァージニアに起きていた症状を知っていてもそれを追体験することはできなかった。これは自明である。 しかし、彼はヴァージニアのことをおそらく最も理解していた一人であったし、なおその人をより深く知ろうとし続けたはずだ。 作家や妻、女性だとか、そういう立場よりももっと根源的な、ヴァージニア・ウルフという人間そのものを知ろうとしただろう。そして人間そのものの創造性を理解することを目指しただろう。 これは冒頭の病跡学の思想そのものであるし、故人にとどまらず、あらゆる人を射程にいれるならば、やはり彼はヴァージニアの人間誌的理解を究極的には求めたのだと結論づけられよう。

私たちが伴走者としてより良く支援するためには、「病は人間の中の異物ではなく、むしろそれを持つひとの人格の基盤をなす重要な要素であること」を原点として、その人をよく知ろうとし続けるほかないのだと思う。 思いがけず月並みな結語になった。しかし、ここまで書いてきて、私はそう言わざるを得ない。ひとまず、ここで筆を置く。