Series

パターン

  1. パターン<序>
  2. パターン<破>
  3. パターン<急>
  4. パターン<転>

前回のあらすじ

筆者は臨床で患者に「なぜ自分が死んだことになっているのか」と問われ、単なる訂正では届かない違和感に直面した。 そこで安永浩のファントム空間論へ進む前提として「パターン」を導入する。パターンとは、生/死・自/他のように互いを要しつつも、前項が後項を支える非対称な二元関係で、順序の逆転はできない――この枠組みであの発言を捉え直す準備を整えた。 本章ではようやく逆転の成立を具体に追う。

強度・距離・空間

安永のいう「パターン」とは、相対的不可欠性と非対称性に基づく一対のカテゴリーと定義される。非対称性とは、前項の公理的自明性と、後項の論理的従属性を要するものであった。 前項をA、後項をBとし、以後、あるパターンを「A/B」と記述する。またこの記事ではパターンを安永が定義した概念として、今後括弧に入れずに用いる。

彼は、パターンにはそれぞれ「強度」があると考えた。いわば体験の強さである。光の眩しさや鼻の曲がるような臭さ、体が焼けるような苦しさ、天にも昇るような快楽、といったものである。この強度をA,Bそれぞれに対してa, bと称することにする。 こうすることで、a、bの大小を論じることができる。例えば、生と死のパターンA/Bの強弱について考えた時、溌剌とした生命の躍動感が感じられれば、aはとても大きく表せる。同様に、死に近づく体験、死への切迫感が強ければ、bは大きくなる。 しかしながら、前の記事でも、前述した通り、パターンには揺るぎない大原則がある。 これを数式で表せば、a>bとなる。生と死の体験がどちらも等しい場合はa=bとなるが、これは非常に強い緊張状態である。 かろうじて私たちが自身の世界を矛盾なく説明できる臨界点である。 なぜ緊張状態なのかといえば、次を考えてもらえれば明快だと思う。 a=bの場合、私が「私」であると感じる体験と、「他者」だと感じる体験が等しくなるということは、「自他」の境界に限りなく近接し、ややもすればa<bになりかねないからである。原則からして、決してa<bになってはならないのである。 a<bであれば、繰り返すが体験の出発点が「他」や「死」となってしまう。

等号を含めて、以上の原則を改めて表記すると、 a≥b ——① と表すことができる。

また、aとbはいずれも無限に大きくなるわけではなく、体験しうる最大強度をもつものとして扱われている。原図では、それぞれの軸の上端に max と示されている。ここでは、これを特定の記号で表すよりも、aとbにはそれぞれ上限がある、と理解しておけばよい。

①と、a・bには最大強度があるという前提をあわせて図示すると、以下のようになるという。

図1

ここで注意しなければならないのは、この図を通常の座標平面として読んではいけない、ということである。 通常の数学的な座標平面であれば、横軸にa、縦軸にbを取り、右へ行くほどaが大きく、上へ行くほどbが大きいとすれば、a=bは左下から右上へ向かう直線になる。ところが、安永の図ではa=bは左上から右下へ向かう斜線として描かれている。

つまり、この図は「横軸a・縦軸b」の座標グラフではない! 左側に置かれたa軸・b軸は、それぞれA項・B項の強度を示す尺度である。一方、右側の四角形は、その強度関係を写し込んだ単なる模式図である。灰色の領域はa>b、白い三角形の領域はa<bを示しており、その境界としてa=bの斜線が引かれている。 したがって、この図は、aとbの値を一点の座標として表す図というより、aとbの強度関係が、どちらに傾いているかを示す図として読むべきである。 この点を見落とすと、たちまち混乱してしまう。実際、私は当初この図を通常の座標図として読んでいた。しかしそう読むと、a=bの斜線の向きが合わない。右へ行くほどaが大きく、上へ行くほどbが大きいならば、a=bは右上がりでなければならないからである。

安永がここで描こうとしているのは、座標ではなく、関係である。より正確には、A項とB項の強度関係が、a>bとして保たれている領域と、a<bへ転じる領域との境界を示している。 このため、a=bの斜線は、通常のグラフにおける一次関数として読むのではなく、aとbの均衡点を結んだ境界線として読む方がよい。

すると、灰色で示された領域は、A項の強度aがB項の強度bを上回っている領域である。ここでは、前項Aの公理的自明性が、後項Bの強度に対してなお優位を保っている。反対に、白い三角形の領域は、B項の強度bがA項の強度aを上回る領域である。ここでは、本来従属的であるはずのB項が、A項を凌駕することになる。

これがa<bである。

前回までに述べたように、パターンにおいては、A項がB項を支える。生があって死があり、自があって他があり、全体があって部分がある。したがって、強度の関係としても、原則としてa≥bでなければならない。a=bはその臨界点であり、a<bは、パターンの順序が崩れた状態を示す。 ただし、安永の原図はもう少し複雑である。

「精神の幾何学」図1-7より一部改変

この図では、左側のa軸・b軸、右側のa>b / a=b / a<bの領域、さらに下方の線分OO’が、一枚の図の中に置かれている。

ここで重要なのは、これらがすべて同じ座標平面上にあるわけではない、ということである。左側のa軸・b軸は、それぞれの強度尺度である。右側の四角形は、aとbの強度関係を示す模式図である。そして下方のOO’は、体験距離を表すために置かれた別の尺度である。 つまり、これは単純な座標図ではなく、複数の尺度を一枚に対応させた図である。

図中のMNは、b軸上にとられた線分であり、B項の強度の幅を示している。たとえば、生/死のパターンでいえば、死の切迫感、他者の存在感、部分や量の先鋭化といった、後項Bの強度がここに対応する。 安永は、このB項の強度が大きくなるほど、体験距離が縮まると考えている。

ここでいう体験距離とは、物理的な距離のことではない。ある対象や感覚が、どれほどこちらに迫っているかという、主観的・体験的な距離である。遠くの月であっても、万感の思いをこめて眺めれば体験的には近い。反対に、眼前の電球であっても、目を閉じてしまえば体験距離は遠ざかる。安永はこのような、われわれの体験を直接包み込む見えない空間を「ファントム空間」と呼んだ。

したがって、MNとOPは、同一座標上の二つの量として読まれるべきではない。MNはB項の強度を示し、OPはそれに対応して縮小する体験距離を示している。両者は、座標上の点として結ばれているのではなく、対応関係として結ばれている。 ここが非常にわかりにくい。 安永の図は、数学的な座標平面の明晰さを借りているように見える。しかし実際には、aとbの強度関係、B項の強度幅、体験距離という異なる尺度が、一枚の図の中に重ねられている。そのため、通常のグラフとして読もうとすると、かえって意味がわからなくなる。

私自身も当初、この図を通常の座標図に近いものとして読んでいた。しかし、読み直してみると、それではa=bの斜線の意味も、MNとOPの関係も説明できない。これは座標ではなく、関係の幾何学である。 要するに、ここで押さえておくべきことは一つである。 B項の強度が増すほど、体験距離は縮まる。そして体験距離が縮まるほど、A項とB項の均衡はa=bの臨界へ近づく。さらにその均衡が崩れれば、a<b、すなわちパターンの逆転が問題となる。 ここまで、私はa<bの逆転は決してあってはならないと述べた。 しかし、逆転は生じる。

どうして私が死んだことになっているんですかと。

次回にご期待ください。