体験反応をめぐって <II>

前回の記事で、精神障害には「疾患的なもの」と「疾患的でないもの」があり、従来うつ病は「疾患的なもの」、つまり内因性の病理があることを説明した。 しかし、複数の国家試験の問題において、うつ病に「疾患的でない」体験反応性の抑うつエピソードを示唆する出題があることも示した。

このような症例は、あなたの職場や周囲の人間関係、あるいは報道等で見聞きしたことがあるのではないだろうか。 過労によるストレスや人事異動、対人緊張が引き金となって精神不調をきたす事例は大変よく見られる。 精神科の外来を担当する立場としても、産業保健の事例としても極めて身近な内容である。休職や復職をめぐって当事者と人事が日々苦悩している話題である。

つまるところ、体験反応性の抑うつが従来のうつ病に混入しているという事態が生じている。もはや区別がつかない。 しかしながら当事者としては「心因」なのか「内因」なのかはどうでもいいことだ。早く良くなって復職するか、退職・転職できればいい。人事にとってもどうでも良いことで、辞めてもらうか、元鞘に戻ってほしい。 それはその通りでしかない。

当事者が真っ先に向かうであろう、開業医のホームページや行政の情報サイトをいくつか調べてみると、至極当たり前だが、「内因」だとか「心因」という話はなされない。 院長などの個人の見解としてやや精神病理に接続したものはあるが、ほとんどの文面は「ストレスがきっかけでうつ病になります」といった体験反応性の文脈を用いている。 原因は不明だという説明に加えて、ストレスが発病の因子になるという解説も若干存在する。これはDSM(Diagnostic and Statistical Manual)のバイオ・サイコ・ソーシャルモデルにかなった説明だ。 遺伝や環境に言及しているのもあれば、「あなたの弱さではありません」という表現もみられ、生物学的な個体としての脆弱性にはあえて蓋をしているものもある。 いずれも大変興味深い。以下に例文を示そう。

「うつ病は、ある日突然発症するものではなく、少しずつ心の負担が積み重なり、心身に変調がおこる病気です。」

「うつ病は、ストレスが重なることなど、さまざまな理由から、身体の持つ自然治癒力を超えた結果、心の機能障害が起きている状態と言えます。」

「うつ病は、精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど、様々な理由から脳の機能障害が起きている状態です。」

「発症の原因は正確にはよくわかっていませんが、感情や意欲を司る脳の働きに何らかの不調が生じているものと考えられています。 うつ病の背景には、精神的ストレスや身体的ストレスなどが指摘されることが多いですが、辛い体験や悲しい出来事のみならず、結婚や進学、就職、引越しなどといった嬉しい出来事の後にも発症することがあります。 なお、身体の病気や内科治療薬が原因となってうつ状態が生じることもあるので注意が必要です。」

あるいは、原因論について言及せずに、「斯々然々、このように定義されている」と引用に留めるものも多い。 この場合は、DSMやICDの日本語訳を引用し、これこれがいくつ、このくらい当てはまったら診断されますよ、という説明をしているものもある。

上記の説明の正否について批判をするつもりはない。むしろこのような説明のほうが、受診すべきか悩んでいる人々を動機づけるだろう。 原因不明と言われるよりも説明的な理由があればその方が悶々とせず済む。私はおかしくないんだ、状況がそうさせているんだという認識になるだろう。 クリニックとしても患者さんが来てくれないと、商売にならないので、なるべく集客をする心理が働く。そのような意図と心因性の筋書きは親和性があると私は思う。

これまでわかることは、一部の医療機関や公的機関等は心因性の文脈でうつ病の説明をしているかもしれないということだ。 診断基準そのものに疑義を唱え、批判をするようなサイトは一つもなかった。おそらくそういうことを言うのは日本精神病理学会の一部の会員くらいだろうか。 もし見つけられたら、https://tortoise-esprit.github.io/xxx/contact/ から教えていただきたいと思う。

それでは、なぜこのようなことになったのか。どうして内因性疾患であったうつ病に体験反応性の抑うつが混入したのだろうか。 以下は、私が調べたわけではなく、先達の二番煎じではあるが、古茶の著した「臨床精神病理学 精神医学における疾患と診断 日本評論社 2019年」によれば、 この最大の要因は、米国のうつ病に関する診断基準が世界標準化したことに端を発するという。要はDSMのことだ。正確にはDSM-IIIの出された1980年になる。 DSM-IIIの前はもちろんDSM-I(1952年)やDSM-II(1968年)が存在した。この時はまだ操作的診断というものがなかった時代で、伝統的診断や、精神力動的(精神分析学的)な用語が多用された。重症度や除外基準、期間について定められていなかったが、この時は「抑うつ反応」と「精神病性うつ病」に明確に二分していたことが最も目を引く。

試しにDSM-Iの「うつ病」に相当する原文と意訳を引用してみる。様々な点でいわゆる「うつ病」との一致不一致に気づくだろう。読者の皆さんは読み飛ばしていただいて全く問題ない。

Depression Reaction

Depressive reaction The anxiety in this reaction is allayed, and hence partially relieved, by depression and self-depreciation. The reaction is precipitated by a current situation, frequently by some loss sustained by the patient, and is often associated with a feeling of guilt for past failures or deeds. The degree of reaction in such cases is dependent upon the intensity of the patient’s ambivalent feeling toward his loss (love, possession) as well as upon the realistic circumstances of the loss. The term is synonymous with “reactive depression” and is to be differentiated from the corresponding psychotic reaction. In this differentiation, points to be considered are (1) life history of patient, with special reference to mood swings (suggestive of psychotic reaction), to the personality structure (neurotic or cyclothymic) and to precipitating environmental factors and (2) absence of malignant symptoms (hypochondriacal preoccupation, agitation, delusions, particularly somatic, hallucinations, severe guilt feelings, intractable insomnia, suicidal ruminations, severe psychomotor retardation, profound retardation of thought, stupor).

抑うつ反応

この反応における不安は、抑うつおよび自己卑下によって和らげられ、したがって部分的に軽減される。 この反応は、現在進行中の状況によって惹起されるものであり、しばしば患者が被った何らかの喪失によって引き起こされる。また、過去の失敗や行為に対する罪責感を伴うことが多い。 このような症例における反応の程度は、患者が喪失(愛情対象や所有物)に対して抱いている両価的感情の強さ、ならびにその喪失をめぐる現実的状況の双方に依存している。 本用語は「反応性うつ病(reactive depression)」と同義であり、対応する精神病性反応とは区別されなければならない。 この鑑別において考慮すべき点は、 (1)患者の生活史、とりわけ気分の変動(精神病性反応を示唆する)、人格構造(神経症的か循環気質的か)、および誘因となった環境要因 (2)悪性症状が存在しないこと である。 ここでいう悪性症状とは、心気的なとらわれ、焦燥、妄想(とくに身体的内容のもの)、幻覚、強い罪責感、治療抵抗性の不眠、自殺念慮への反芻、著しい精神運動制止、思考の高度な制止、昏迷などを指す。

Psychotic Depressive Reaction

Psychotic depressive reaction These patients are severely depressed and manifest evidence of gross misinterpretation of reality, including, at times, delusions and hallucinations. This reaction differs from the manic depressive reaction, depressed type, principally in (1) absence of history of repeated depressions or of marked cyclothymic mood swings, (2) frequent presence of environmental precipitating factors. This diagnostic category will be used when a “reactive depression” is of such quality as to place it in the group of psychoses.

精神病性抑うつ反応

このタイプの患者は、きわめて強い抑うつ状態にあり、現実を大きく誤って理解している様子がみられる。その中には、妄想や幻覚が現れる場合もある。 この反応は、「躁うつ病性反応・抑うつ型(manic depressive reaction, depressed type)」とは異なっており、その主な違いは次の点にある。 (1)抑うつを繰り返してきた既往や、顕著な循環気質的な気分変動の病歴がないこと (2) 発症のきっかけとして、環境的な要因がしばしば認められること この診断カテゴリーは、「反応性うつ病(reactive depression)」であっても、その質が精神病の範疇に入るほど重い場合に用いられる。

この分類は、精神病性の有無によること、反応性の抑うつは「喪失」によって引き起こされるといういかにも精神分析の文脈に沿った解説がなされている。患者の生活史にも焦点が置かれているのも興味深い。前者の「反応性抑うつ」は体験反応性の要素を含んでいるが、いわゆる心因・内因の図式に則っていないことが決定的である。そもそもこのDSM-Iにおける「反応性」という用語の含意は、精神分析の解釈範囲である無意識の心的要因との関連を射程に入れていることが大きい。(すごく雑にいうとなんでもアリになってしまう) これは伝統的精神医学ではなく、精神分析に比重が置かれた内容である。もはや似て非なるものだ。 ある意味ただの解説文であり、症状がいくつ当てはまったら診断、では全くないことがわかっていただければ十分である。 次こそはDSM-IIIの診断基準を引用して決定的な違いを理解していただければと思う。

<さらに続く>